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鉾歩


(22)三階城
 鉾田市教育委員会設置説明板や『図説 茨城の城館』では、出展根拠もなく徳宿氏庶子である12世紀末頃の安房氏の居城としているが、城館の強固な形態や周辺地域に置かれる家臣団の席勝拠点である根古屋集落が不在であることを考えると鉾田川で対峙する勢力に備えた戦国期の出城と考えるのが自然であろう。
 特に、武田氏が巴川で対峙する野友に居館を構え、『烟田旧記』によれば武田通信が永禄9年(1566)に当時鉾田地方に勢力を伸ばしていた鹿島治時と戦い、鹿島領の内2か村を奪取している。また、北部から侵攻してきた江戸氏への抑えのための居館とも言える。
 城の規模も大きく対岸から見ると3層(3階建)の土塁が廻り、面積に比して一層大きく威圧感のある形態である。最後部が一曲輪で長辺45m・短辺25m・土塁高1mの楕円形を呈する。二曲輪は長辺100m短辺・70mの楕円形・土塁高2m、三曲輪ならび四曲輪は二曲輪を囲み、数分割されており、櫓台的役割の縄張りも推測される。近接する高野館や谷津を挟み北に位置する要害館は、安房氏時代の所産とも考えられる。

いばらき市民活力センター
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