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生きた学芸活動の展開 霞ヶ浦常民交流博物館
|麻生藩新庄氏外様小藩のすがた|新撰組水戸派へようこそ奈良大学で学んで行方を探ろう
麻生藩新庄氏外様小藩のすがた −一万石大名の藩のすがたと領地−
 
 
 
 麻生藩は、初代藩主新庄直頼(なおより)が慶長9年に常陸国行方郡・新治郡・真壁郡・河内郡・那珂郡、及び下野国芳賀郡・都賀郡・河内郡の8郡内に3万3百石余(『恩栄録』)を与えられ成立しましたが、二代直定(なおさだ)は慶長18年に父の遺領の内3千石を弟直房(なおふさ)に分知し2万7千石を相続し、元和2年(1616)に奏者番を命ぜられ没するまでその職を務めました。三代直好(なおよし)の時代の元和8年に下野国の領地1万石を常陸国新治郡に移され、支族直房の次男直時(なおとき)を養子として4代藩主としました。寛文4年(1664)には、常陸国行方郡19ヶ村・鹿嶋郡28ヶ村・新治郡14ヶ村・河内郡1ヶ村・那珂郡1ヶ村、下野国芳賀郡4ヶ村の領地を与えられていたことがわかります(「新庄直時宛領地朱印状・目録」)。また、直時は直好が晩年に生まれた実子直矩(なおのり)が成長するに及び、延宝2年(1674)幕府に願い出て義弟直矩に家督を譲って5代藩主とし、直時は鹿嶋郡内に7千石を分知され交代寄合(こうたいよりあい)格となりました。
  しかし、2万3百石余を相続した直矩(なおのり)が、同年継子も無く没したため領地は没収されてしまいましたが、幕府は前藩主の直時に旧藩領のうちから3千石を加増し、1万石の大名として本家を継がせています。
  再封して6代藩主となった直時の跡を継いだ7代藩主直詮の元禄10年(1697)年に新治郡大岩田の領地8百石を茨城郡内に移され、以後、麻生藩領は行方郡内20ヶ村と茨城郡内飛地4ヶ村の合わせて24ヶ村に固定して廃藩に至りました。
  直詮の跡、8代藩主には子の直祐(なおすけ)、9代藩主は孫の直隆(なおたか)、10代藩主には直隆弟の直侯(なおよし)が養子に迎えられ、11代藩主は直隆次男の直規(なおのり)が継ぎ、12代藩主直計(なおかず)、13代藩主直彪(なおとら)、14代直頌(なおもち)と続きました。直頌が幼年で病没したため支族直孝(なおたか)の長男直敬(なおたか)が相続し最後の15代藩主となりました。

<一万石時代の麻生藩の村々>

いばらき市民活力センター
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