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生きた学芸活動の展開 霞ヶ浦常民交流博物館
|麻生藩新庄氏外様小藩のすがた|新撰組水戸派へようこそ奈良大学で学んで行方を探ろう
麻生藩新庄氏外様小藩のすがた −湖を愛した外様大名新庄氏−
 
 
 麻生藩は、近江地方出自で豊臣秀吉に仕えた摂津高津城主の新庄直頼(なおより)が、関ヶ原の戦いで西軍に加わり改易となりましたが、慶長9年(1604)に徳川家康との旧交により助けられ、常陸国行方郡・新治郡・真壁郡・河内郡・那珂郡、下野国芳賀郡・都賀郡・河内郡内に、改易前と同様の3万3百石余の領地(『恩栄録』)を与えられて、常陸国行方郡麻生を根拠地として成立しました。
 常陸国では珍しく、細川氏の谷田部藩と2藩だけの外様藩であり、両藩とも幕末まで続く極小藩でした。行方郡のほかに鹿島郡や新治郡などに領地がありましたが、麻生を居所としたのは中世に麻生城が構築された要衝の地であり、琵琶湖を望む故郷近江国新庄の風景と重ね合わせてのかもしれません。霞ヶ浦名物のワカサギは、新庄直頼が国替えの際琵琶湖から持ち込んだとの伝承もあり、「公魚」と記するのは、三代藩主直好(なおよし)が竹串に刺した焼きワカサギを時の大老酒井忠勝を通じて三代将軍徳川家光に献上し、以後累代将軍家へ献上し公方様が召し上がったことからと伝えられています。
 慶長18年(1613)には、二代藩主直定(なおさだ)が父の遺領のうち3千石を弟直房(なおふざ)に分地して支族としました。このあと、元和八年(1622)に下野国石橋の領地を常陸国新治郡内に領地替えされますが、以後麻生藩は、常陸国の行方郡19ヶ村、鹿島郡28ヶ村、新治郡14ヶ村、河内郡1ヶ村、那珂郡1ヶ村、下野国芳賀郡4ヶ村の領地(『新庄直時宛領地朱印状・目録』)を持っていました。
 麻生陣屋の設立は、元和元年(1615)の「武家諸法度」施行後の元和5年とされ、幕府の厳しい制限の中で建設されたものと推測されます。陣屋は、中世麻生城の東側の城下川河口の州上に占拠され、北東側にあった池から掘割に水を注ぎ込み堀の内も形成していました。

いばらき市民活力センター
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